2011年03月12日

横浜での大地震体験記

今回のような地震は本当に初めてで、一生涯忘れることができないと思います。

車が大渋滞しているなか、人々が街中いたるところで歩き回り、救急車のサイレンが鳴り響く・・・。まるで映画のワンシーンのなかにいるような錯覚を覚えました。


昨日はちょうど出勤の日で、私は横浜みなとみらい地区の28階建てビルの21階で勤務していました。この高さなので比較的小さな地震でもそれなりに揺れるのは過去経験していましたが、昨日はこれまでと全く違っていました。

あまりの揺れの激しさと、いつまでも揺れ続ける不気味さでこれはもしかしたらやばいかもと真剣に思いました。

年に1、2度、防災訓練をやっており、前々日にちょうど訓練をやったばかりのところ、昨日はまさに本番となってしまいました。

部屋にいる数十人全員がヘルメットをかぶり、机の下にもぐりました。床に手を着いて揺れが収まるのを待っている間、前の机の下にもぐっている女性は泣き声で怖い、怖いよと言っているのが聞こえます。

いつもの経験から、すぐに収まるよ、大丈夫だよと声を掛けるのですが、一向におさまりません。それどころか揺れは激しさを増していき、こちらも恐怖を感じるほどの状況で、一瞬もうだめかも知れないという思いがよぎりました。

本社ビル防災管理室からは窓側に近づかないようにとか火の元確認、ヘルメットを着用して机の下に隠れるなどの指令がきます。

長い長い揺れがようやく収まり、すぐ自宅に携帯で電話してみましたがまったく繋がりません。メールもダメ。他の人たちも同様のようですが、息子さんからメールが入ってきたという人もいました。


ホッとしたのも束の間、また第2波の地震がやってきました。また同じように激しく揺れ、長く続きます。机の下にしゃがみながら、つい先日起こったニュージーランド地震での建物崩壊の光景が頭に浮かび、恐怖感に襲われていました。


2度目の揺れが収まってしばらくすると、管理室の指令で、高層階から順次1階に降りることになりました。仕事途中の書類はすべて書庫に格納し、いざ1階へ。

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1階には劇場用ホールとラウンジがあります。エレベーターは使えないため、ビルの全員がぞろぞろと階段を使って降りていきます。

私も同僚たちと一緒に21階から非常階段をとことこと歩いて降りていきましたが、その長いこと!普段エレベーターしか使わない人間が21階から1階まで歩くのですから、使ったことのない足の筋肉は酷使され、頭もぐるぐる回って下に着いたときはくたびれてしまいました。


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途中、階段室の壁に亀裂が入ったり、一部剥がれ落ちている個所もありました。それは建物の真ん中の14、5階あたりが一番酷かったような感じです。

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ようやく地面に足が着いてホッとしたものの、今度は津波に襲われないかと不安になり、一刻も早く高台に避難したいという気持ちが強くなってきました。ここみなとみらいは海に隣接しているため、大津波が来たらひとたまりもありません。

ところがそういった指令はなくて、ひたすら情報収集と待機で時間は刻一刻と過ぎていきます。途中、気分の悪くなる人も出て、救護場所へと抱きかかえられていく光景もでてきました。

時間もだんだん迫り、5時半くらいになってようやく帰宅可能な人については帰宅OKということになり、また一旦職場に戻ることになりました。(つまりまた階段で21階まで昇ることに)
(;>ω<)

これって61歳の身には疲れます。でもうちの職場はそういうシニアさんが大勢いるので弱音は吐けません。(61歳だと若い方!) 逆に年上のシニアさんを励ましながらまた21階に戻ってきました。

もうすでに仕事関係の書類は全部しまってあるので、しばらく休んでから鞄とコートを取って帰ることに。電車もバスも動かないのにどうやって帰るの?って、思ってもなぜかみんな帰り支度をして三々五々帰り始めました。

たぶんみんな、様子を見ながら歩いて帰るようです。

私は、家が同じ方向の先輩のSさんと一緒に、歩いて帰ることにしました。


6時半出発。

途中、食料の確保とトイレのためにコンビニに寄ります。しかしお弁当類は既に売り切れていたので、お腹に持ちそうなお菓子、飲み物、中華まんなどを買い込みました。

携帯電話は繋がらないので、途中公衆電話をかけてみたら、、、なんと、繋がりました。

やっと家族の無事が確認できて安心しましたが、奥サンは道中危険なので泊まるようにとのたまわります。ヽ(  ̄д ̄;)ノ
(今さらまたホテルを探したりなんて面倒なので、強引に帰ることで押し通しました)


先輩のSさんは私の家より近くなのですが、道路事情に明るいので心強い限りです。

歩いている途中、なぜかガラ空きのバスが通っていきます。中には方角的にも我々が目指す方向に近いバスもあったりしたので、これはやはり歩くよりバスを使おうということになり、始発である横浜西口のバスステーションに逆戻りました。


戻る途中、高島屋の1階フロアーが見えましたが、デパートの床に何人もの人が座り込んでいるという異様な光景でした。

ようやく西口地下のバス乗り場入口に着きましたが、そこで見たものは、・・・人、人、人の列!!!

何百人、いや何千人の数の人の列だったのです。


これではバスに乗れるのは何時になるか、まったく予想がつきません。しかもいつ来るかわからないバスです。

ここまで戻ったことは時間のロスだったことが分かり、二人でがっかりしました。

またこれから徒歩夜行が再スタートです。同じように歩いている人が他にも大勢います。中には幼稚園くらいの男の子の手を引いたお母さんも。

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国道1号線の途中、Sさんの昔の記憶を頼りに、他の人があまり通らない近道を二人で歩き始めました。

沢渡〜松ヶ丘〜三ッ沢〜片倉と、地下鉄ブルーラインの駅名で聞いたことのある町を通り過ぎていきます。片倉に入ってSさんが公衆電話で家に電話すると、これまでずっと繋がらなかったのにようやく繋がりました。

そして、近くにあるスーパーの駐車場までSさんの奥さんが車で迎えにきてくれることになりました!!

これからあと何時間かかるか分からない暗夜行路?から解放されることになったのです。 ヽヽ(≧▽≦)//

しばらくして娘さんを乗せて奥さんが運転する車が現れ、帰宅難民二人はようやく救出されました。


この後、到着したSさん宅の一帯は停電中で真っ暗でした。そのままSさんご家族も一緒に私の自宅近くまで送っていただくことになり、おかげさまで10時ちょっと過ぎに我が家に到着することができました。(道が渋滞していたため1時間ほどかかってしまい、本当に申し訳ない気持ちと感謝の気持ちで一杯です)。


電車で約1時間の通勤距離を、歩くとなるとどれくらいかかるのか見当もつかず、夜中になるのを覚悟して出発しましたが、結果的には会社を出てから3時間半ちょっとで家に着きました。(徒歩2時間、車1時間半くらい)

会社に泊まったり、臨時の宿泊施設で泊まった人が大勢いるなか、これだけの時間と労力で家に着くことができたのは本当にありがたいと思います。ましてや、この地震や大津波で亡くなった大勢の方、避難されていらっしゃる方を思うと申し訳ない気持ちで一杯です。


救助待ちの方々については最後まであきらめずに頑張って欲しいと思います。避難所に避難されていらっしゃる方々については少しでも早く十分な救援物資が届きますように!!

そして亡くなった方については心からご冥福をお祈りいたします。







posted by 酔ing(すいんぐ) at 23:59 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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