2013年03月17日

B29墜落 哀悼の慰霊碑

今朝の読売朝刊の社会面。「B29墜落 哀悼の慰霊碑」というタイトルの記事が掲載されていました。

とても感動的な 内容だったのでこのブログでも紹介させていただくことにしました。

太平洋戦争末期に群馬県太田市の中島飛行場を爆撃しようと付近を飛んでいたB29爆撃機2機が空中接触して墜落事故を起こし、搭乗員23人が亡くなったそうです。当時の状況からすれば、敵国の戦闘機が墜落したのは日本にとっては "いいニュース" だったに違いありません。

しかし戦後60年に当たる2005年、偶然手に入った墜落機の写真の存在を知った横浜市の住人が米国の遺族を探し出したことがきっかけで、群馬県邑楽町(おうらまち)の住民と搭乗員遺族との交流が生まれ、亡くなった23人の慰霊碑が建てられるまでになりました。この20日には除幕式が行われ、住民や遺族、米軍関係者が出席する予定とのことです。

記事の内容は以下の通りです。

 太平洋戦争末期に米軍の爆撃機「B29」2機が墜落した群馬県邑楽町の住民らが、死亡した搭乗員23人の慰霊碑を墜落現場近くの寺に建立し、20日に除幕式を行う。戦後60年を機に始まった搭乗員の遺族との交流がきっかけとなった。当日は、住民や遺族、米軍関係者ら約50人が出席する。


 慰霊碑や除幕式は、同町秋妻の岩崎治雄さん(87)や、同町にある清岩寺の木崎伸雄住職(80)ら約10人が計画した。碑は石製で縦1メートル10、横1メートル50の大きさ。「ここ秋妻の空に散った23名の勇士の御霊みたまに哀悼の誠をささげるとともに日米両国の友好と世界の平和を希求します」との文言を、犠牲者の名前と共に刻む。費用は地元住民で負担した。


 墜落した2機は1945年2月10日、軍用機を生産していた同県太田市の中島飛行機の工場などを狙って飛来。空中で接触し、同町秋妻に落ちた。


 岩崎さんは、墜落機の写真を保管しており、戦後60年の節目にあたる2005年に地元公民館で初公開した。写真は、同町に住んでいた工員の栗田国利さん(故人)が撮影したもので、誰にも見せないまま70年頃、親しかった岩崎さんに託したという。


 この墜落を調べていた横浜市の元自動車販売業新井勲さん(78)が写真の存在を知り、「家族の最期は誰だって知りたいはず」と米国の遺族を探し出した。岩崎さんも協力して写真の複製を送ったところ、感激した遺族から、亡くなった搭乗員の写真などが届いた。岩崎さんらは3年前、この写真などを展示して慰霊祭を初めて開催した。


 その後も、遺族から「私は父の顔を知らない。秋妻に行きたい」などと手紙が寄せられ、地元住民らは「アメリカ人も戦争の犠牲者。遠くの遺族はなかなか来られないだろうから、私たちでまつろう」と話し合った。木崎住職が「宗教の違いを超えて供養したい」と申し出て、境内に碑を建てることが決まった。


 碑の建立を知った米軍横田基地は、「日本以外の国で、敵の兵士を敬い、慰霊する行事はないだろう。日本人の高い品格と日米の友好の絆を表すもの」(広報部)と歓迎。当日は、米空軍の音楽隊の演奏に合わせて国歌を斉唱し、祈りをささげるという。

(2013年3月17日 読売新聞)

以上の内容の記事です。

「家族の最期は誰だって知りたいはず」と米国の遺族を探す新井さんの思いと行動力には感心させられます。日本からこんな申し出を受けた遺族家族はさぞ驚き、感激したことでしょうね。

その後2010年には写真の展示や慰霊祭を行い、今回慰霊碑建立には地元の住民がその費用を負担したというのも素晴らしいことだと思います。

また何より慰霊碑の文面にも感動しました。23名の "勇士" を称え、御霊みたまに哀悼の誠を捧げるとともに、さらには "日米両国の友好と世界の平和を希求します" とは何と崇高な心の持ち主なんだろうか。

これでは遺族ならずとも米軍基地関係者までも感激するのは分かります。「日本人の高い品格と日米の友好の絆を表すもの」と最大級の賛辞が寄せられるのも分かる気がします。

国と国とが対立をする中で人が人を殺すのが戦争だとしても、人と人が憎しみ合っているわけじゃない。人と人とは最終的には "心" を持った人間同士なんだということを教えてくれた今回のニュースでした。

20日当日の除幕式の様子はニュースで取り上げてくれると嬉しいのですが。是非見てみたい気がします。






posted by 酔ing(すいんぐ) at 13:36 | 神奈川 | Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース&話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月09日

絶体絶命のピンチが何故?

昨日のWBC第2ラウンド、日本対台湾の試合は壮絶だった。

4時間48分の死闘はめったにない。結果は4−3 で日本の勝利。

しかし80球の制約の中で、先発のオウ・ケンミンに全く歯が立たず、6回までも登板を許した。

貧打・拙攻で得点できず、途中、見ていても面白くないのでテレビの前の家族を残して自室に戻った。
(2−0で負けている時)

家族に言わせると、私がテレビの前で応援すると負けるから見ないでだって。(・vv・)?


しかししばらくすると点が入ったよと声がかかり、またテレビの前に戻る。2-2 の同点。さあ、これで安心して見ていられるぞと思ったのも束の間、8回裏また田中が打たれる。

やっぱり今日はダメだ。打てないし、完全な負けパターン、とまた自室に戻る。
(2-3で負けている時)


最後、と思い9回表の攻撃を観にまたテレビの前に戻る。

先頭バッター稲葉、ファーストゴロで1アウト。

次の鳥谷がフォアボールで出塁したが、その後の長野はフライを打ち上げてアウト。ついに9回ツーアウトまできてしまった。

あと1人で試合終了という段階で、もう99%負けを覚悟した。


もう観るの止めようかと一緒に観戦している娘に言うと、「私は最後まで信じてるから」の一言。この状況じゃあ無理に決まってるのにと思いながらも、気丈な娘にちょっと感心しつつまた部屋に戻る。


ところが、、、、「同点になったよ!」の声が下から聞こえてきて慌ててまたテレビの前に飛んでいく。

何と最後の最後、井端がタイムリーヒットを打ったのだった。その前に鳥谷が2塁に盗塁を決めていた!土壇場で奇蹟が起こった!!

まさに信じられないという気持。この国際試合の大舞台でこんなことが起こるなんて!

これで、試合の流れが日本に傾いているという確信に近い思いがしてきた。今日は日本が劇的な勝ち方をするのでは・・・


その後9回裏も2塁まで進塁され、サヨナラの悪夢が脳裏をよぎってハラハラドキドキの場面もあった。でも牧田投手のダイビングキャッチなどもあり、チームの気持が一つになって抑えきった気がする。

そして10回表、ここぞ気持ちで戦った結果だと思う。相川ヒット、糸井フォアボールの後の坂本の絶妙な3塁前バント。その後の中田、よもやホームランの大きなレフトフライでとうとう念願の勝ち越し点をもぎ取った!


試合後、もう11時半を回っていたが、4時間半を超す激闘を制した山本監督の声は感動で震えているように聞こえた。

この感動は、全員が決してあきらめずに最後まで全力で戦い抜いたことから生まれるものだろうけど。

それってテレビの前で行ったり来たりしているわが身には程遠いものだとは思うけど、でも結構応援するのもシンドイって気がする。というか、昨日はハラハラドキドキの連続で心臓によくない。(笑)

最後、台湾の先発投手オウ・ケンミンがベンチでずっと祈るような仕草をしていたのが印象的だった。


久しぶり(サッカーのワールドカップ決勝戦の時くらいかな)に超感動した試合でした。









posted by 酔ing(すいんぐ) at 22:13 | 神奈川 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする